なぜ学ぶのか?
臨時
未来への対処の仕方
今回のLECOで学んだ「未来への対処」について紹介したいと思います。
2016年関西学院大学全学部」大問番号1より
未来への対処の仕方として、主に2通りある。1つ目は、過去の出来事が未来にも同様に起こると考えること。例えば、占いは過去の出来事を集約化し、その中から未来の出来事を予測するものである。勿論、未来のに起こるだろうとされる出来事は全て過去の出来事から引用したものである。
もう1つの対処の仕方として過去の経験則から未来でも似たような出来事が起きるだろうと考え、あらかじめ対処することだ。1つ目とは異なり、同じような(類似の)出来事は未来にも起こりうるが同様の出来事は起こらないと考えるのである。
人は常に色々な人と関わりを持ち生活しているため何が起きるのかわからない、つまり偶然によって成り立つ世界に生きていると言える。だからこそ、過去の出来事と同様の出来事が未来にも起こるだろうという考えは安直である。
そのことを踏まえ、人間は過去の経験から未来にも同じことが起こるとは考えずに、似たような事が起こりうると考え、常に前もって対処することが必要である。
私はこの文章を読んでこれからの未来がどうなるのかという予想を立てるににとても良い教訓を得たと思いました。まず1つ、近年はロボットの開発が著しく、近い将来ロボットが人間にとってかわると言われています。しかし、今はロボットの設置費用より人件費の方が安い為導入されていないだけです。人間が作り出したものに人間が疎外されるということはとても皮肉なことですが、この似た話を今日ご教示頂きました。
話は産業革命に遡ります。紡績機が発明されてからたくさんの失業者が出ました。紡績機の発明により労働者を多く必要としなくなったからです。このことは先ほどお伝えしたロボットの話と似ていると思います。
そう、つまり過去の教訓から今後どうすればいいのかということは見つかると思います。だからこそ過去の事、歴史にきちんと目を向けて勉強したいしすべきと思いました。
今回も見ていただきありがとうございました。
日本人の良さとは
教育とは
芸術から考える理性と感性
今回のLECOで学んだ「芸術から考える理性と感性」について紹介したいと思います。
日本の芸術作品は神話や道徳の理性的な内容をもとにしてつくられていた。しかし、明治時代になり西洋の考えが入ってきたことで、新たに感性という視点をもって芸術作品をたしなむようになった。 つまり、新たな芸術への捉え方として、感情の表現を見出すものになった。
例えば、花を愛でるということは神話の中にも出てくるものだが、感性という視点を持つことで、花を愛でる=美であるという考えが生じる。
そもそも、明治以前は理性、感性という概念は存在しておらず、芸術の捉え方は1通りしかなかったが、理性、感性という概念入ってくることで芸術の捉え方が増え、以前の考え方が廃れてしまう。 例えば能には神様が例外なく出てくる。しかし、現在の人は能に神様が出てくると捉え、たしなむ人はほとんどいない。
このように日本の芸術においては神話、道徳が存在するという考え方が無くなってしまった。
私はこの文章を読んで概念の誕生による価値判断の変化について非常に興味を持ちました。そもそも、最近は神話という考えが科学の発展によってさらに廃れている気がしました。もしかしたら、新たな概念が生まれることで今の芸術への判断の仕方自体変わるかもしれません。
だからこそ、考えの成立をたどることで以前共有されていた考えを知る事ができるのだと思いました。
今回も見ていただきありがとうございました。