教育とは

今回のLECOで学んだ「教育とは」についてご紹介したいと思います。

2015同志社全学部大問番号1より

 一般的には自由とは生きたいように生きるといった欲望であると捉えられがちである。筆者は多かれ少なかれ、人には欲望があると指摘している。

 自ら生きたいように生きるための方法として、相互に争いをすることで自分の自由を勝ち取り、欲望を満たしている。

 例えば、全てが欲望のためという訳ではないが、戦争などが挙げられる。代表的なのがアメリカの公民権運動、アラブの春などである。

 しかし、本当の自由とは、自分の自由と同様に他者の自由も存在していることを認めることであると筆者は考えている。また、この自由の考え方(相互承認の原理)はドイツの哲学者ヘーゲルによって結論付けられたものである。

 自らの欲望を求め戦い続けるだけでは永遠に戦わなければならず、たとえ権力を得たとしても永続化させるのは不可能である。このことから、他者にも欲望があるということを認めつつ、自分の欲望も認めてもらう自由(相互承認の自由)が望ましいと筆者は考えている。

 仮に他者の自由を認めないと争いに発展し、自らの自由を失うこともある。だからそこ他者の自由も承認することが必要である。

 以上のことを踏まえて、公教育とはなにを目指し作られたのか?

 それは自由の相互承認の原理に基づき、自分のしたいことへの知識を学ぶということである。つまり、他者の自由を侵害せず、認め、自らの自由も認めてもらいつつ、したいことを見つけ知識をつけるということである。




 私はこの文章を読んで、教育の本来の目的について理解しました。

 テクスト中にはしっかりと明示してはありませんでしたが、自分のしたいことのために学ぶには自発的に知識を得に行く姿勢が大事だと思います。自発的に学ぶことで知りたいこと、学びたいことを取捨選択します。

 僕は学生だからこそ、今の日本の教育の形態について知る機会が多いと思います。その中の欠点として、教師が授業をし生徒が知識を得るという、本来の教育とは逆のことが行われているということがあげられると思います。

 学びたくないことも学ばなくてはいけない、もっと学びたいことがあるのにという事実を受けとめてこれからの教育へ繋げていってほしいと思いました。


今回の見ていただきありがとうございます。