言語の体系

今回のLECOで学んだ「言語の体系」について紹介したいと思います。

2009年早稲田大学法学部大問番号2より

 

 コミュニケーションとは、他者に理解されて初めて意味を持つ。一般的には言語のみがコミュニケーションの手段であると思われがちだが、言語以外にも手段は存在している。それは行動によって他者とのコミュニケーションをとることである。行動を無意識に言語化し状況の判断を行う。


 そして、コミュニケーションが成り立つかどうかは、大人の判断によって決まる。

 

 例えば、赤ん坊が泣いているときは何かを訴えているという解釈が大人の中でされている。動物も例外ではなく、擬人法的に大人は何かの意味を見出そうとする。また、風景自体もその存在を語るという面においては、ある意味言語の体系に含まれている。

 

 だからこそ、言語によって表現できないものは存在していなく、仮に存在していたとしても、誰からも理解されないため、存在していないものとみなされる。つまり、すべての物事は言語の体系から逃れる事はできないのである。

 

 

 私はこの文章を読み、言語の大きすぎる役割と疑問に気づきました。文章内では、行動や姿、形が言語として役割を持つとありますが、なぜそんなことができるのか。

 

 それは、自分が見たもの、体感したものを紙や言葉にしてアウトプットできるからだと思いました。つまり、事物はすべて言語化できるということを筆者の主張から感じ取りました。

 

 

 

今回も見ていただきありがとうございます。