近代と前近代、現代のコミュニティーの在り方

今回のLECOで学んだ「近代と前近代、現代のコミュニティーの在り方」をご紹介したいと思います。

2015年度早稲田大学商学部大問番号1より

 

 前近代では、国家が人々を統括していて、人々は集団意識の元で生活を送っていた。しかし、近代になり国家が人々を支えるのが困難になり、個人という単位で自らの生活を成り立たせるようになった。つまり自己責任の原則の元生活するということ。

 

 個人単位の生活を送るという概念が存在してから、一定期間は熱狂的に取り組むことができた。例えば高度経済成長、バブルなどが挙げられる。しかし、熱狂していることが虚無化したことで人々はどのように生きるか行動指標が見えにくくなった。

 

 そして、現代になり人々は新たにコミュニティーを作ることで役割、利益を求めるようになった。例えば、人々(特に若い人)はSNSという媒体を用いて、新たな人間関係を築き、その関係の中での生きがい、役割を見つけようとしている。

 

 

 わたしはこの文章を読んで、人間関係の役割に気づきました。まず、行動指標が無くなったときは人々が自然と集まるということは、集団から「何をすべきか、何をしたらよいかという役割を見つけられるかもしれない」という考えがあることを意味しています。現代の集団を作るという行為はおそらく自らの役割を見つけるために、他方でそれに伴いSNSという媒体が比例関係にあるように成長していった理由となっているのではないかと思います。

 

今回も見ていただきありがとうございます。