感情のコントロールと自己のイメージ

今回のLECOで学んだ「感情のコントロールと自己のイメージ」をご紹介したいと思います。
近代では感情のコントロールが行われています。筆者は感情をコントロールすることに疑問を抱いてます。
感情をコントロールする理由として、場面に合った行動をとること(場面に応じたふさわしい行動をすること。仮にしたくない行動でも仕方なくする行動が挙げられます。)で、自らも敬意を払い(行動から示す敬意)相手からも敬意が払われ(場面に応じ行動できる人という認識によるもの)、互いの自由の相互不可侵を確立できるからです。
互いの自由の相互不可侵とは、相手に不快な思いをさせないことを前提(暗黙の了解)として好きなように自ら行動することです。(自由とは一般的には何をしてもよいということにとらわれがちですが、本来は互いの相互承認によって成り立つものです。)
問題点として、感情のコントロールをすることにより自分の思ってることを表に出すことができなくなります。つまり、自己のイメージを確立することができなくなります。(例えば、思っていても言えない、やりたくてもできないということが挙げられます。)
結論として、場面に応じて感情をコントロールしつつ、自分と相手との相互承認によって成り立つ自由を得ながらも感情を表に出して、自己のイメージを作り上げることが重要であるということです。


私は感情のコントロールはとても大事なことだと思います。まず、好きなことを好きなようにということではただの独りよがりになってしまいます。そんなことに対して警鐘を鳴らしたのが少し前に流行ったKYという言葉だと思います。このことから読み取れることは現代の人々の状況に対する重要さです。自分の考えよりも状況に対する良い雰囲気を作ることに重きが置かれてると思います。
他方で、個性を表に出すことで、相手からのイメージが作られ、考えすぎかもしれませんが同じ考えを持った人が集まって来ると思いました。 
同じような考えの人集まりならば、個性は出しやすく、また自然と雰囲気も良いものになると思いました。
本文と私の持論との違いを明確にすると、本文では感情のコントロールと感情の表面化を同時平行することが望ましい。私の持論では、感情の表面化に重きをおきつつ、感情のコントロールをする。そうしてるうちに回りにいる人たちと自然に良い状況(場面)が作れるということです。

2013年度立教大学文学部1番より