顕在する制度と潜在する制度

今回のLECOで教わった「顕在する制度と潜在する制度」についてご紹介したいと思います。
2012上智大学文学部大問番号一番より



人は生活する上でなんでもして良いものだとすると、日々私たちの世界では犯罪が起きてしまう。仮に常識というものがあったとしてもほんの一部の行動しか抑止できない。もしかしたら意味さえ持たないのかもしれない。

そんな人の行動を制約することものとして筆者は2つのものがあると考えている。制度と文化である。

制度は人の行動を限定することで社会を秩序立ったものにさせることを目的としたものであり、どんな人であっても強制されるものである。

例えば、道路交通法は歩行者の安全を確保するために主に運転手のスピードを制限したりするものである。女性だから、海外の人だから見逃そう等といったことは絶対にあり得ない。

一方、文化をとは人の行動を暗黙裡に制約することで、国や特定の地域の独自性を確保するものであり、一部の人の行動を半強制的に制約するものである。

例えば、イスラム教には豚肉を食べてはいけないという風習がある。しかし、このことはイスラム教徒に対してのみ半強制的に行われるものであり、実際豚肉を食べたからと言って決して罰せられたりはしないものである。

このように制度と文化は同時に存在するものであるが、働きかける内容は全く異なったものであり、私たちはこの2つの制約によって行動しているということである。


私はこの文章を読んで、見えないものを感知する濃緑の大切さを知りました。法律とは実際六法全書に書いてあり、何をしたら不味いかわかるものです。しかし、常識やタブーは何かに書いてあるということはあまりなく、自らその場その場の空気を感じとり、何をしてはいけないのか学ぶものです。

実際、常識は守らなくても罰せられるということが無いため、自分は非常識であるわかりにくいのも事実です。だから周りの空気やその場の状況に敏感になることが重要であると思いました。



今回も見ていただきありがとうございました。