学問への関わり方

今回のLECOで学んだ「学問への関わり方」について紹介したいと思います。
2015関西学院大全学部大問番号1より


ある事柄を用いて行動をする際に、その事柄の当事者でないといけないとされている。例えば、先住民ではないがあたかも先住民のように振る舞うことをワナビーと呼ぶ。ワナビーは先住民のことを理解せずにファッションを取り入れることで、先住民のことを理解したように見せかける。


もちろん先住民からすれば、表面的な理解しか行わないワナビーのことを、批判している。実際、ファッションを取り入れられるだけならまだしも、そのこととは別に先住民の経済的価値を下げられているという現実がある。


例えば、インディアン・ジュエリー(先住民の宝飾品)が挙げられる。かつてインディアン・ジュエリーは現地で手作りで作られるもので、希少性があり海外からは高く評価されていた。しかし、最近は市場に出回る先住民の芸術作品よりも外国産のものが多く出回るようになった。もちろん大量生産されているからこそ現地で作られるもののおよそ10~20分の1の価格で買えてしまうというのが現状だ。


よって今は安価でどこでもインディアン・ジュエリーが買えてしまい、もはや希少と呼べる存在でなくなった状態を、先住民は文化の経済価値が下げられたとして非難している。だから、先住民は表面的な理解しか行わない人に対しては消極的な見方を持つ。


しかし、文化を深く理解することで先住民でなくても文化を語ることは可能である。例えば、トニー・ヒラーマンはナバホ族を話題にしてサスペンスを書いたノンネイティブの作家だ。彼はワナビーとは違い部族の特徴と歴史を踏まえた上でサスペンスを書き、ナバホ族の人たちから賞賛され、現地のお土産としてそのサスペンスが置かれるという事態までに至った。


このようにある事柄をきちんと理解することで、当事者でなくともその事柄について言及することができる。そのためには、きちんと理解ができるような勉強が必要である。



私はこの文章を読んで理解する大切さに気がつきました。まず、身近な例でいうと一番英語が当てはまると思いました。私たちの多くは日本語を母語としているが、英語を勉強しなくてはいけない。当然留学したことがない人は英語に対しての当事者とは少し離れた存在であるが、だからといって日本で英語をマスターすることが不可能と言えばそうでもないと思います。きちんと勉強し理解をすることで日本国内でも英語をマスターすることができるからです。

よって、理解することが重要であり、その理解のためには勉強することが必要であると思いました。



今回も見ていただきありがとうございました。