記憶と写真

2015年金沢大学

記憶とは正確さに欠けいずれ無くなってしまう不確かなものであるのに対し、写真とは現存する限り誇張もなくまた変化することもなくありのままを表す有能なものであるとされている。


一見すれば記憶とはいずれ無くなってしまう負の側面しかないように思えるが、実は人の感性を保存することができるものである。


例えば、グランドキャニオンの写真を見たとき、行ったことが無い人はその大きさや形に感動したりはいないだろう。しかし、実際に行ったことがある人はそのときの経験を感動することができるだろう。


よって体験を通して残る記憶とは写真だけでは感じ取れない感動を保存することが可能であるという点において優れている。

個を理解するために

今回のLECOで教わった「個を理解するために」について紹介したいと思います。
2013年一橋大学大問番号1番より

日本全体の地形を普段考える人はそんなに多くないだろう。まして、各都道府県のことですら考えることはないかもしれない。自分の住む町や会社、学校の周りの地形しか普通は考えないだろう。では逆にどのようなときに都道府県ないし国という単位で捉えることがあるのだろうか。

あくまで1つの例だが、私たちは天気予報を各都道府県で捉える。あるいは地方によって捉える人もいるかもしれない。

このように何かについて知ろうとしたり、理解しようとするときには普段自分が確認することのできないスケールを俯瞰することで確認しようとする傾向がある。

先程の例は天気予報だったが、人と人の個別的な関係を知る際も同様で企業、コミュニティー、社会、親族など普段確認できないような大きなスケールから考えることが有効なのである。

身近な物事と証明

今回のLECOで教わった「身近な物事と証明」について紹介したいと思います。
2015年九州大学教育学部大問番号2番より



哲学者デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉は有名です。大意は、物事の存在を疑う自分の存在はは否定できないということである。つまり、自分は物事の存在を疑うが、疑う主体の自分の存在は確実である。自分の存在だけは確実であるが、証明することができないということです。

このように、何かを証明するにあたり、必ず前提とされるものがあるということ。むしろ、前提とするものがない場合証明どころか話が前に進まないものである。

このことを踏まえると、私たちの生活に身近な法律や制度とは人間の存在を元に成り立つものである。したがってそれらのことは人間にとってどのような意義があるのかということが示されなければいけないものである。また、人間に関わる多くの物事とは人間の存在を前提とし、何らかの意義があるものとして存在しているということが証明されるべきなのである。


今回も見ていただきありがとうございました。

人間の特殊な能力

今回のLECOで教わった「人間の特殊な能力」について紹介したいと思います。

2008年北海道大学文学部大問番号1番より


人間は様々な行動をすることができる。例えば、話したり投げたり、走ったりなど様々だ。では他の動物との違いを見ていくとする。まず、遺伝子の構造や性質は人間と同じである。では何が違うのだろうか。

それは人間だけが行える身体には直接関係ない能力を得ることである。例えば、言語は身体には直接関係ないが、人間の生活を成り立たせている重要なものである。この言語とは人間の長い歴史の中で培われたものである。

このように直接身体に関係ない能力であっても習得することで人間は行動できる範囲つまり、身体能力を拡張した点で他の動物と違うと言えることができる。


今回も見て頂きありがとうございました。

最良の方法

今回のLECOど教わった「最良の方法」について紹介したいと思います。
2013東北大学法学部大問番号1番より


なにか行動するときは目標を立ててから行うものである。そしてその目標を達成させるためにはより効果的である質の良い方法を行うのが普通である。

例えば、定期テストで良い点数をとるという目標をかかげ、書いたりして必要事項を覚えるのが最良の方法だと思う。よって、ゲームをするということは目的から外れたものであり、良くないものと見なされるだろう。

しかし、このように目的から外れるから良くないと言う考えは安直である。先程の例で言えば、ゲームを用いて楽しみながら暗記するほうが勉強に対する効果は生まれるかもしれない。

よって、目標のための最良の方法とは、1つとは限らず、様々な考え方でより良い方法を見つけることが重要なのである。


今回も見て頂きありがとうございました。

資本主義はなぜできたのか

今回はおさらいとして「資本主義はなぜできたのか」について紹介したいと思います。

1999関西学院大経済学部大問番号一番より



なぜ人は労働をするのだろうか。おそらくそれは個人的な理由が大半である。例えば、お金を稼ぎたいから、やってみたいからなど様々である。

しかし、前近代(主に産業革命以前)は自分のための労働という考え方が無かったと言われている。どういうことだろうか。

まず、私たちの周りで宗教を信仰している人はどれ程いるだろうか。もちろん多いとは思うが、昔と比較すれば全然少ない。なぜなら、科学が発展することにより、宗教は道理に合わないものとされ衰退したとされている。

例えば、日照りが続いているから、神様は怒っているだろう。だから生け贄を捧げてもう一度雨を降らせてもらおうなんていう考え方は根拠がないものとして現在では行われてない。

もともと宗教とは共通のものを信じることで集団意識を重視していたが、宗教が衰退することで個人を重視するようなった。つまり、集団利益より個人の利益の方が重要であるとされたとも言えるのである。このことは資本主義経済が優位とされている考え方からしてもわかることである。

よって、個人の利益を追及するための労働という考え方ができ、今の社会の構造(資本主義)が成り立ったのである。



今回も見て頂きありがとうございました。


なぜ人間は文明を発達させることができたのか

今回のLECOで教わった「なぜ人間は文明を発達させることができたのか」について紹介したいと思います。
2013年名古屋大学教育学部大問番号一番より

夏休みの宿題を最終日にあわててやったことがある人は多いのではないだろうか。本来1ヶ月かかるものでも1日で終わらせることができると知ったら、夏休みの初日にやれば良かったと思うだろう。しかし、それは無理なのである。なぜなら宿題をやらなくてはいけないという意識が欠落してるからだ。


このことから人間と他の動物の違いを見つけることができる。


人間は今まで色々なものを作ったり発達させたりしてきた。しかし、他の動物はこのような変化が見られない。なぜだろうか。


それは人間には有り他の動物には無い、意識という概念が答えとなっている。例えば、早起きしなきゃいけない、出掛けなくてはいけない、いずれ死んでしまうなど意識の現れ方は様々である。しかし、他の動物にはこのような意識という考え方がないのである。


人間は意識することで人間の文明を発達させてきた。つまり、人間は意識することが行動の理由となっているのである。